山下公園
街路樹木がないので、マレーシアのペナンより、暑いです。
ひまわり🌻が咲いてます。
横浜山下公園はもう夏です。🍧🍨🏖⛱
ひまわりの花が咲いてるんです。
花開いたひまわり
大きく開いて咲いたひまわりを見ると、「夏だぁ。」って思います。
散歩で大喜び。
氷水で冷やされたラムネ。ビー玉を下に落とした瞬間に、
「しゅわっ!♬」 と吹き出てくるラムネを急いで口で押さえたのが懐かしいです。
これが私の日本の夏の風物詩です。
ご訪問していただき、ありがとうございました。🙏🏻
アメリカの可愛い娘たち。
「かもめの水兵さん」の歌碑を探そう。
横浜山下公園にあります。
童謡『かもめの水兵さん』は1937年(昭和12年)に発表された。
作詞:武内俊子 作曲:河村光陽
歴史ある歌碑、見るだけでも価値があります。
「かもめの水兵さん」♬歌碑
碑をたてることば
作詞者武内俊子さんは昭和八年の秋ある日このメリケン波止場から船で布教のためハワイヘ旅立たれる叔父さんを見送りにこられました。
それはよく晴れた日の午後のことで桟橋一帯に白いかもめがたくさん飛びまわりそれが折からの夕陽に映えてとても美しく印象的でした。
この童謡はこのときの光景を描いたもので横浜港は「かもめの水兵さん」の発祥地であります。
昭和五十四年十一月 野間省一
『かもめの水兵さん』の歌碑は、日本の4か所にあります。
武内俊子の故郷である広島県三原市の宮浦公園前、さらに作曲した河村光陽(かわむらこうよう)の故郷、福岡県田川郡福智町、そして河村光陽の墓(東京都文京区本駒込・吉祥寺)にありますが、歌詞が生まれた雰囲気を今に伝えるのが、山下公園です。
足利瑞義がハワイに旅立ったのは昭和8年9月のこと。
本願寺教団の第3代ハワイ開教総長として、移民の多いハワイに布教のために横浜から船出したのです。
叔父・足利瑞義を見送った武内俊子は、帰路の電車の中で頭に浮かんだ詩を書きとめ、すぐに河村光陽に連絡。
河村光陽もスラスラと曲を完成させました。
ご訪問していただき、ありがとうございました。🙏🏻
アメリカの可愛い娘たち。
朽ち果てる一歩手前の山下公園。
歴史ある横浜の姿はずっと守り続けて。
たとえ市長が変わっても、議員が入れ変わっても。
温故知新の考えで。今の横浜市はどうも違う。
そこには、民主主義の根幹である選挙制度の澱みが如実にでています。
選挙を勝ち取ろうっていう考えが、人気取りだけの施策に留まっているだけ。
横浜のシンボル”山下公園” 。
例えば、 『字が消えかかっている案内、錆が出て腐れかかっているアーケードArcade』。
字が消えかかってる。
アーケードが腐れかかってるよ。
すぐ直して。🙏🙏
ご訪問していただき、ありがとうございました。🙏🏻👍🏻
アメリカの可愛い娘たち。
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りす
このブログは、マレーシアのペナンから引き揚げ、日本での暮らしを書いてます。
本物のりすは、ペナンのコンドミニアムからベランダ越しに見えた大木に住んでました。3か月ごとに、巣を作っては引っ越してました。
「常夏のマレーシアに初めて訪れたのは1988年。そして、早期退職してマレーシアのペナンで暮らして3,650日。🚗🌴
りすは(コロナの影響で)2030年までのMM2Hビザを解約し、車とコンドミニアムを処分。
2021年9月、日本に帰国しました。
日本に帰国してからは、ライブドアブログで書いてます。
タイトルの画像は、病院の前にある公設市場です。看護師がナシカンダーを買っているところです。
マレーシアのナシカンダーは、私も大好き。