領土を取り返すことこそ政治家の役割のはずだ。

丸山議員発言で注目「北方領土」 忘れてはならないソ連の暴虐
5/21(火) 16:56配信 夕刊フジ

 あまり自覚していないが、日本は「侵略」された側だ。いまなお自国の領土を不法に占拠され、国民の財産が奪われている。1つは、韓国に占拠された「島根県の竹島」、もう1つが、日本維新の会から除名された丸山穂高衆院議員の発言で注目を集める「北海道の北方領土」だ。

北方領土は「日本固有の領土」で、総面積は5003平方キロメートル、千葉県や福岡県とほぼ同じ広さだ。この周辺海域は、カニなどが取れる豊かな漁場だ。

この北方領土を、いまから74年前の第二次世界大戦末期に、ソ連(現ロシア)が一方的に占拠し、その不法占拠は、ソ連が崩壊してロシアとなった後も続いている。

そもそも、どうやってソ連は北方領土を不法占拠したのか。

1945年8月9日、ソ連はお互いに戦争を仕掛けないことを約束した日ソ中立条約を一方的に破棄し、日本領であった南樺太に攻撃を開始した。ソ連軍による攻撃は、日本政府が「ポツダム宣言」受諾を公表した8月15日以降も続いた。

一般市民をも対象にした無差別攻撃を繰り返すソ連軍に対して日本軍も果敢に応戦し、8月22日にようやくソ連との間で停戦協定が結ばれた。だが、その後もソ連軍は侵攻を続け、同月25日までにソ連軍によって南樺太全土が占領された。その間に約10万人の一般市民がソ連軍の無差別攻撃の犠牲になったと言われている。

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南樺太の豊原市にいた当時小学校5年生の小林恒夫さんは、当時の様子をこう証言している。

《8月22日午後3時ごろ、白と赤の旗が掲げられている豊原市に敵機が3機襲来、駅前で帰還を待つ大勢の人々の中に爆弾を投下し、さらに機銃掃射を加え数百人の死傷者が出た。この瞬間と現場を私も目撃していたが、まさに地獄のありさまだった。終戦日から1週間がたち、しかもソ連との終戦調印(8月22日正午)も終わってから、こんなことは許せない。これが第二次大戦最後の空襲であろう》(小林恒夫、天川悦子共著『国家なくして平和なし』明成社)

一方、ソ連軍が千島列島の占守島(しむしゅとう)に攻撃を開始したのは、日本が降伏を宣言した3日後の8月18日。占守島でも日本軍は果敢に抵抗し、一時はソ連軍を撃退したが、改めて戦闘停止命令を受け、結果的に千島列島、そして北方領土も占領されてしまった。

しかも南樺太、千島列島にいた日本軍将兵はその後、中国大陸にいた日本軍将兵とともに厳寒のシベリアなどへ連行され、苦役を強いられた。

シベリアなどに強制連行された日本軍将兵の総数は諸説あるが、厚生労働省によれば約57万5000人で、そのうち約5万5000人が死亡したと言われている。

丸山議員の発言を批判する声ばかりが聞こえてくるが、こうした非道を語り継ぎ、領土を取り返すことこそ政治家の役割のはずだ。

 

 

 

そのとおりだよね。

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