「尖閣諸島戦時遭難事件」日本はこんなにいじめられたんだね。初めて知りました。💥太平洋戦争の時、日本に原子爆弾を落とすよう2度も命じたトルーマンアメリカ大統領は、いい人ではありません。 

日記

 

 

こんなに悲惨なことが行われたことを初めて知りました。

 

 

 

Webから引用

 

 

 

かに
かに

 甲板上は一瞬にして血の海と化した。女性の絶叫や、子どもの泣き叫ぶ声で船上はまさに「地獄絵図」となった。

米軍機はその後も攻撃を執拗に繰り返した。

 

 

 

ポッポさん
ポッポさん

 疎開船を含む民間船への攻撃は国際法で禁じられていたが、米軍は戦争末期、すでに「無差別攻撃」の段階へと入っていた。

結局、一心丸は沈没。海の藻屑となった。

 

 

 

連合国が日本の戦後教育に深く突き刺さり、

 

 

 

太平洋戦争や第二次世界大戦の真実に触れさせなかったのは、

 

 

 

ちょきちょきさん
ちょきちょきさん

しばらくすると、敵の大型機が現われ、私たちの船に襲いかかった。バリ、バリッ……と機銃弾がそこらにはじけ、たちまち大騒ぎとなった。私はとっさに、おにぎりを入れてあった竹籠を息子(長男)の頭の上に置いてかばった。気づいてみると、なんと息子の首筋から右肩が真っ赤になっている。即死であった。

 

 

 

連合国が行った行為を明るみに出したくなかったのでしょう。

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「甲板は一瞬で血の海、泣き叫ぶ声で地獄絵図に」機銃掃射の尖閣沖、生き残った日本人の告白

尖閣諸島戦時遭難事件#1

(文春オンライン 早坂 隆 から引用しました。)

 上陸してからも毎日毎日、人が死んでいった――。終戦直前、多くの日本の民間人を乗せた疎開船が遭難し、無人島だった尖閣諸島に流れ着いた。しかし、そこから120人を超える遭難者集団による飢えの過酷な日々が始まった。尖閣諸島で起きた秘史について、昭和史を長年取材するルポライター・早坂隆氏が寄稿した。(全2回の1回め/#2を読む)

凄惨極まる事件の舞台となった尖閣諸島

「尖閣諸島」という言葉を聞くと、日本人は何を思い出すであろうか。大半の方は、中国の領土的野心について連想するであろう。

だが、この島で起きた戦時中の「秘話」についても、ぜひ知ってほしい。この島は、決して忘却してはいけない凄惨極まる事件の歴史的舞台でもあったのである。

大東亜戦争終戦の前月にあたる昭和20(1945)年7月、沖縄県の石垣島から台湾へ向かう2隻の疎開船が、米軍機の攻撃にさらされた。

 

「尖閣諸島戦時遭難事件」の始まりである。(続きは本文を読んで下さい。⬇)

「甲板は一瞬で血の海、泣き叫ぶ声で地獄絵図に」機銃掃射の尖閣沖、生き残った日本人の告白 | 文春オンライン
上陸してからも毎日毎日、人が死んでいった――。終戦直前、多くの日本の民間人を乗せた疎開船が遭難し、無人島だった尖閣諸島に流れ着いた。しかし、そこから120人を超える遭難者集団による飢えの過酷な日々が始…

Webから引用

 

 

追記

 

 

疎開船を含む民間船への攻撃は国際法で禁じられていたというのだから、

 

 

民間人(老人婦人子ども)への爆撃も禁じられていたのではないかと思います。

 

 

さすれば、太平洋戦争の時、日本に原子爆弾Atomic bombを落とすよう命じた

 

 

トルーマンアメリカ大統領は、いい人ではありませんね。2度も命令したのです。

 

 

戦いに負けた日本はそれさえも訴えることができない現状です。

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